「役に立たなきゃ」から少し離れてみた日
「もっと社会の役に立たなきゃ」
「ちゃんと有益なことを書かなきゃ」
そんなふうに、わたしはいつもどこかで自分にプレッシャーをかけていたように思います。
もちろん誰かのためになりたい気持ちは、とても自然でやさしいもの。けれど、その想いが強くなりすぎると、「楽しい」という感覚を置き去りにしてしまうこともあるのかもしれません。
そんな中でふと、「自分の楽しいを、そのまま信じてみたらどうなるんだろう」と思う出来事がありました。
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夢中になった時間が、誰かの心に届いた
先日、新しいWebサービス「ピクページ」に登録してみました。

プロフィールページを簡単に作れるサービスなのですが、これがもう、驚くほど楽しくて。
ああでもない、こうでもないと触っているうちに、気がつけば2時間。
久しぶりに「時間を忘れる」という感覚を味わったような気がします。

そのわくわくした気持ちを、なんとなくそのままXに投稿してみたんです。
すると、光の速さで「いいね」がついて、思わずびっくりしてしまいました。
あれ?と思ったんです。
わたしは特別に有益な情報を書いたわけでもない。
誰かの役に立つノウハウをまとめたわけでもない。
ただ、「楽しい」という気持ちを、そのまま外に出しただけ。
それでも、誰かが反応してくれた。
もしかしたらそれは、「楽しんでいるエネルギー」そのものが、誰かの心に触れたからなのかもしれません。
もちろん、相手がどんな気持ちになったのかは正確にはわかりません。
でも、少なくとも「何かが動いた」ことは確かで。
そう考えると、「夢中になっている姿」や「楽しんでいる姿」を見せることって、実はとても意味のあることなのかもしれないと思えてきました。
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「楽しんでいるだけ」でいいの?という不安について
とはいえ、どこかでこんな声も聞こえてきます。
「こんなに楽しんでいるだけでいいの?」
「ちゃんと役に立っているの?」
その気持ちも、すごくよくわかります。
でもよく考えてみると、「夢中になっている姿を見せる」って、意外と簡単なことではありません。
感じたことを言葉にしたり、形にしたり。
それを誰かの目に触れる場所に置くという、小さな一歩も必要です。
つまり、ただ遊んでいるだけのように見えて、実はちゃんとエネルギーを使っている。
そしてそのエネルギーが、誰かの心に届く。
それはもしかすると、「心をやわらかくするケア」のような役割を持っているのかもしれません。
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まとめ|「楽しい」を信じることが、誰かの力になる
「人の役に立つこと」と「自分が楽しむこと」は、別々のものだと思っていました。
でも今日の体験を通して、そのふたつは、ゆるやかにつながっているのかもしれないと感じています。
夢中になっている姿。
心から楽しんでいる時間。
それをそのまま見せることが、結果として誰かの心を動かす。
それって、とても静かで、でも確かな「役に立つかたち」なのかもしれません。
だから、少しだけ肩の力を抜いて。
「わたしの楽しい」を、そのまま信じてみる。
そうすると、思っている以上にやさしい循環が生まれていくのかもしれませんね。
心が動くって、本当にすごいことなのですから。
鹿児島より愛をこめて
まき子

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