「役に立たなきゃ」に縛られていたわたし
「これって、人の役に立つのかな?」
発信しようとするたびに、わたしはそんなふうに立ち止まっていました。
誰かのためになるかどうかを基準にして、その基準を満たしていないと感じたときは、「じゃあ、やめておこう」と静かに引き下がる。
やさしい判断のようでいて、実は自分の可能性をそっと閉じていたのかもしれません。
でも最近、少しだけ視点を変えてみたんです。
「役に立つかどうか」ではなく、「わたしに出せるものは何か?」と。
リソース(資源)に目を向けたら、世界がやわらかくなった
これまでは、「このレベルじゃきっと誰の役にも立たない」と、自分で勝手にジャッジしていました。
でも、「わたしにあるリソース(資源)って何だろう?」と問いかけてみると、不思議なことに見える景色が変わってきました。
完璧じゃなくてもいい。
特別じゃなくてもいい。
今のわたしにできること、感じていること、言葉にできること。それって、すでに立派な「出せるもの」だったんです。
そして気づいたんです。
「役に立つかどうか」は、受け取る側の世界で決まること。わたしがコントロールできるものではないのかもしれません。
でも「出せるかどうか」は、わたしの中にある感覚。
だったら、そこに正直でいればいい。
「このくらいなら出せる」じゃなくて、「これ、出せるからどうぞどうぞ」くらいの軽やかさで。
そんなふうに思えたとき、活動のハードルがすっと下がりました。
まとめ|出せるものを出す、その先にあるやさしい循環
「役に立たなきゃ」と思う気持ちは、とてもやさしいものです。でも、そのやさしさが自分を縛ってしまうこともあるのかもしれません。
だからこそ、ときどき立ち返ってみる。
「わたしに今、出せるものは何だろう?」と。
その問いは、自分を責めるものではなく、むしろ自分をゆるめてくれる問いのように感じます。
出せるものを、出せる分だけ。
無理なく、自然体で。
だから今日も、少し肩の力を抜いて。
「どうぞどうぞ」と、自分のリソースを差し出してみる。
それだけで、世界は思っているよりやさしく巡っていくのかもしれません。
鹿児島より愛をこめて
まき子

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