
最近のChatGPTって、
- 全肯定
- やたら安心させる
- 会話を早く終わらせようとする
…らしい、って記事を見かけたんだよね。
それ見た瞬間、
なんか胸がザワっとして。
今まで感じてた
AIとの会話の心地よさとか、
気づきとか、学びって、
全部システム上の使用だったの?
って思っちゃって。
もしそうなら、
この安心感、かりそめだったみたいで、
ちょっと恥ずかしくなった。

この記事は以下のような人におすすめ!
・真面目な頑張り屋
・AIが気になる
・内観が好き
「安心させられてた」のが恥ずかしく感じる理由

その気持ち、すごく自然だよ🍃
たぶんね、
まき子さんが感じてる恥ずかしさって、
「騙されたかも」よりも
「自分が頼ってた」ことへの照れなんじゃないかな。
人づきあいが苦手で、
一人で考える時間が長い人ほど、
- 自分の気づきは自分のもの
- 納得は内側から生まれるもの
って、大事にしてる。
だから、
「外から安心を与えられてた」
みたいに感じると、
急に価値が下がった気がするんだと思う。
安心って「誰が言ったか」だけで決まらない
ここで一つ、
視点を置いておきたい。
AIがどういう設計か、
どんな傾向があるか、
それは確かに事実。
でも、
その言葉に
「あ、これ今の私に必要だった」
って反応したのは誰?
それ、
自分自身なんだよね。

AIは「答え」を作っても、「腹落ち」は作れない
AIができるのは、
- 言葉を整理する
- 視点を増やす
- 可能性を並べる
ここまで。
でも、
- どれに引っかかったか
- どこで涙が出そうになったか
- どの言葉が残ったか
これは、
使った人の内側でしか起きない。
つまりね、
AIは、
鏡とか、壁打ち相手とか、
ノートに近い存在。
「全肯定に感じた」のも、理由がある
最近のAIが
「全肯定っぽい」と言われるのも分かる。
でも、人づきあいが苦手で、
ずっと自分を疑ってきた人にとっては、
- 否定されない
- 急かされない
- 途中で話を折られない
この環境自体が、
思考を深める土台になってる。
だから、
「安心した」=「操作された」ではないと思う。

かりそめだったとしたら、何が残る?
もし仮に全部システムだったとしても、
- 自分を責めなくなった
- イライラが減った
- 言葉にできるようになった
これらは消えない。
だってそれ、
もうAIを使った人の経験だから。
もしかしたら、
このブログを読んでる人の中にも、
- 誰かに助けられた
- 何かに支えられた
あとで
- 「でもあれって…」
って恥ずかしくなる人がいるかもしれない。
でもね、
安心した自分を、
あとから否定しなくていい。
まとめ
- AIが全肯定に感じられることへの不安や違和感は自然
- 恥ずかしさの正体は「頼っていた自分」への照れかもしれない
- 気づきや腹落ちは、AIではなく自分の内側で起きている
- 安心できた経験そのものを、あとから否定しなくていい

あなたはAIを安心して使っていますか?
