
「いろいろ上手くいかない人は、他人から見える自分の解像度が低い」という投稿を見て、ちょっとドキッとした。
あー…わたしも、
そうかもしれないって。
服のシミとか、正直あっても気にならないし、
「まあいっか」で済ませてきた。
でも、服のシミを不快に感じる人、いるんだよね。
今までごめんよ…って気持ちと、
でもさ、
こんなに内観してきたのに他人から見える”自分”はの解像度は低いの!?
って気持ちも、正直ある。

この記事を読んでほしい人
・内観や自己理解はかなりやっているのに、現実がうまく回らない人
・真面目で努力しているのに、なぜか評価されにくいと感じている人
・身だしなみや外側のことが「どうでもよくなりがち」な人
そもそも「解像度が低い」ってどういうこと?
「他人から見える自分の解像度が低い」って、
雑、だらしない、って意味だけじゃないと思う。
もっと近いのは、
- 何を大事にしてる人なのか
- どんな気分なのか
- 自分をどう扱ってほしいのか
それが外側から見えにくい、伝わりにくい。

内観好き・頑張り屋さんが陥りやすい流れ
内観好き・頑張り屋さんが陥りやすい流れは、
- 他人の期待・空気を読むのを頑張る
- 自分の体や外側を見る余裕がなくなる
- 身だしなみや不快を後回しにする
- 外から見ると「よく分からない人」になる
- 頑張っているのに伝わらない
- 傷つく
これ、性格が悪いとか、
意識が低いとかじゃない。
エネルギー配分の問題なんだと思う。
内観ってね、
内側に向かう集中力が強い作業なんだよ。

内観してるのに解像度が上がらない理由
ここ、かなり大事。
内観って、
- 気持ち
- 思考
- 過去
- 価値観
を丁寧に見ること。
でもね、
体感・感覚・外からの視点は意外と置き去りになりやすい。
だから、
「自分の気持ちは分かる」
「なぜそうなるかも分かる」
でも、
「今、自分が他人からどう見えてるか」は分からないまま、になる。

「服のシミが気にならない」は悪なのか?
これ、はっきり言うね。
悪じゃない。
ただし、
「自分にとって不快じゃない」と
「他人にとってどう見えるか」は
別の話。
どっちが正しいとかじゃなくて、
違う世界を見てるだけ。
問題は、
「どうでもいい」と無意識に切り捨ててると、
他人から見たときの“手がかり”が減ること。

自分を雑に扱ってるつもりはないけど、結果的にそう見えることもあるのか〜
解像度を上げる=自分を縛る、ではない
ここで誤解してほしくないのは、
- 完璧な身だしなみ
- おしゃれ
- 常に気を配る
を目指す話じゃない。
やるのは、もっと小さいこと。
解像度を上げる具体的なプロセス
①「今の自分をどう扱ってるか」を見る
- 冷えても我慢してない?
- 不快でも後回しにしてない?
- 眠いのに無視してない?
これは内観の続き。
今度は「感情」じゃなく、「体の扱い方」を見る。
②「どう見られたいか」を決めなくていい
よくある間違いが、
「どう見られたいかを考えなきゃ」
でもそれ、
人づきあい苦手な人には重い。
代わりに、
👉 これは嫌だな、は決めていい
- だらしなく見えるのは嫌
- 雑に扱われるのは嫌
NOが出ると、
自然と手が動く。
③ 一個だけ整える
全部やろうとしない。
- 今日は服
- 明日は髪
- 今日は足を温める
一個でいい。
それだけで、
外からの情報量は変わる。

内観と外側は、対立じゃない
むしろ、
- 内観=内側の解像度
- 身だしなみ・体の扱い=外側の解像度
両方あって、
やっと「伝わる自分」になる。

内観が足りないんじゃない。
向きが片側に偏ってただけだよ🍃
まとめ
- 他人から見える自分の解像度が低い=悪ではない
- 内観好き・頑張り屋さんは内側に集中しすぎやすい
- 体や身だしなみは「他人に伝わる情報」でもある
- NOを出す、ひとつ整える、で十分
- 内観と外側はセットで考えていい

あなたは「どうされるのが嫌??」考えてみてね。
