
父が亡くなって、半年くらい・・・
いっときは、
「少し落ち着いたかも」
って思ってた。
でも最近ね、
家族と幸せな時間を過ごせば過ごすほど、
父との思い出とか、
父の優しさとかが、
ぶわっとよみがえってきて・・・

この記事を読んでほしい人
・大切な人を亡くして、時間がたったのにまた苦しくなっている人
・前向きになろうとすると、逆に悲しみが強くなってしまう人
・悲しみが薄れることに、どこか罪悪感を感じている人
幸せなのに、苦しい
家族と幸せな時間を過ごせば過ごすほど、
楽しいはずの時間なのに、
父のことを思い出して、
- もう会えないんだ、って気づいてしまう
- あの時、もっと大切にできたんじゃないか
- なんであの時、ちゃんと噛みしめなかったんだろう
そんな後悔と寂しさが、
一気に押し寄せてきて、
胸がぎゅっと苦しくなる。
前を向くほど、苦しくなるのはなぜ?

それね、すごく自然なことだと思う🍃
人って、
- 何も感じられないほど辛い時期
- 少し日常が戻ってくる時期
この間を行ったり来たりするんだよね。
前を向けるようになったからこそ、
「失ったものの大きさ」をちゃんと感じられるようになった、とも言える。
この苦しみ、一生続くの?

この繰り返しが、一生続くのかなって。
楽になる日は来るの?それとも、慣れるだけ?

たぶんね、悲しみは「消える」ことはない。
でも、
形は変わる。
今は、
- 波が急で
- 突然胸まで来て
- 息ができなくなる
そんな感じかもしれない。
でも少しずつ、
- 波がゆるやかになって
- 来る前に気づけるようになって
- 押し流されず、横にいられる
そんな変化が起きてくる。
忘れることへの、申し訳なさ

苦しさがやわらいだら、「父を忘れてしまうみたいで、申し訳ない」って気持ちも出てくる。
これがまた、しんどい。

忘れるんじゃないよ。
たぶんそれは、
ってこと。
- ふとした選択
- 何気ない言葉
- 家族との距離感
そういうところに、
ちゃんと生き続ける。
思い出す回数が減る=愛が減る、じゃない。

こんな時期、どうやって過ごせばいい?
答えはね、
「ちゃんと過ごさなくていい」。
- 無理に前向きにならない
- 落ち込む自分を直そうとしない
- 涙が出る日は、出していい
悲しみが来たら、
「また来たね」って
椅子を一つ出すくらいでいい。
追い出さなくていい。
人づきあいが苦手な頑張り屋さんへ
悲しみを
「早く処理しなきゃ」
って思うのは、
まじめで、
ちゃんと生きてきた証拠。
でもね、
この悲しみは
片付けるものじゃない。
一緒に生きるもの。

まとめ
- 幸せな時間ほど、喪失の痛みは強く感じやすい
- 前を向けるようになったからこそ、悲しみが深くなることもある
- 悲しみは消えないが、形や距離は変わっていく
- 忘れること=裏切りではなく、生活に溶けていくこと
- 無理に前向きにならず、悲しみと一緒に座る時間も大切

悲しみがあるのは、
ちゃんと愛してたからだよ
